古代より水の要所として知られた英賀(あが)は、室町時代に大きく発展を遂げました。一時は
「播磨最大の都市」といわれ、戦に翻弄された都市でもあります。
1576年『英賀合戦』。播磨進出を狙う毛利と官兵衛はこの地で戦い、見事な戦術により、毛利軍を撃退しました。英賀に悲劇が起こったのは、1580年。中国進出を開始した秀吉軍の『英賀攻め』により、城のみならず町全体が火の海となり、一夜にしてすべてが焼失したといわれています。戦火により数多くのものが失われましたが、「英賀神社」には、失われた巨城・英賀城の土塁(どるい)が今も残されています。