ゆかりの沿線スポット

英賀神社・英賀城本丸跡

大河ドラマの官兵衛紀行で紹介されました。

古代より水の要所として知られた英賀(あが)は、室町時代に大きく発展を遂げました。一時は 「播磨最大の都市」といわれ、戦に翻弄された都市でもあります。
1576年『英賀合戦』。播磨進出を狙う毛利と官兵衛はこの地で戦い、見事な戦術により、毛利軍を撃退しました。英賀に悲劇が起こったのは、1580年。中国進出を開始した秀吉軍の『英賀攻め』により、城のみならず町全体が火の海となり、一夜にしてすべてが焼失したといわれています。戦火により数多くのものが失われましたが、「英賀神社」には、失われた巨城・英賀城の土塁(どるい)が今も残されています。
ひとことMEMOひとことMEMO

〜 それぞれのファンが思いを馳せる 〜
「英賀神社」の境内には「英賀城土塁跡」のほか「播磨灘物語 文学碑」などもあり、官兵衛ファンだけでなく、歴史・司馬遼太郎氏好きも訪れる人気のスポットです。

▲ 英賀城土塁
▲ 英賀城本丸跡

英賀神社・英賀城本丸跡

料金(入場料)
なし
アクセス
英賀神社:「夢前川駅」下車。北へ徒歩約10分
アクセス
英賀城本丸跡:「西飾磨駅」下車。西へ徒歩約3分
ホームページ
http://www.agajinja.jp
近隣のゆかりのスポット

黒田職隆廟所 官兵衛の父・職隆が眠る場所。職隆は、温厚で聡明な人物で知られ、今でも地域の人々はこの場所を「筑前さん」の愛称で呼ぶほど。


黒田職隆廟所

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