母里太兵衛(もりたへえ)は、黒田家家臣の中から選出された「黒田二十四騎」、その中でも更に優れた八人を指す「黒田八虎(くろだはっこ)」の一人。性格は豪傑(ごうけつ)だが忠義に厚い男で、官兵衛と息子・長政の二代にわたり仕えました。
太兵衛の代名詞といえる「黒田節」。それは福島正則(ふくしままさのり)の元へ使者として訪れた太兵衛に正則が酒を勧めたときのこと。断り続ける太兵衛に正則が黒田の家名を汚(けが)す発言をしたところ、太兵衛は一変、大杯の酒を飲み干しました。その際、褒美として名槍「日本号」を頂戴したという逸話が、太兵衛そして黒田武士の男気を表す民謡として、唄い継がれています。