比叡山・大山とともに天台の三大道場と並び称された「書写山圓教寺」。姫路市内の北方・書写山山上に位置するこの地にも、官兵衛の足跡が残っています。
時は『中国征伐(せいばつ)』。西の毛利・東の織田信長の狭間で揺れ動く播磨の諸将は、官兵衛の説得により信長への加勢を決めましたが、別所長治が離反し毛利方へ…。信長の命を受け播磨にいた豊臣秀吉は、三木城の別所と毛利に挟まれる窮地に立たされました。その窮地を脱する術として、官兵衛は秀吉に「書写山圓教寺へ本陣を移す」ことを進言。受け入れた秀吉は、無事苦境を乗り切ったそうです。
書写山圓教寺を選んだ理由は、信長からの大量の援軍を収容できる場所、山上にあり敵の監視をおこなえる場所など、諸説あります。