ゆかりの沿線スポット

国府山城址

大河ドラマの官兵衛紀行で紹介されました。

  • 城址
  • 父・政職関連
「妻鹿城(めがじょう)」「甲山城」ともいわれる「国府山城(こうやまじょう)」。この城は鎌倉時代末期から南北朝時代に、妻鹿孫三郎長宗(めがまごさぶろうながむね)が築城したと伝えられています。官兵衛が豊臣秀吉に姫路城を譲り、姫路を美しく見渡せるこの地に、父・職隆(もとたか)と居城したのが1580年頃。
この時期、官兵衛は秀吉の軍師として三木城攻めに従事、さらに反旗を翻(ひるがえ)した荒木村重の説得のために訪れた有岡城で1年近くも幽閉(ゆうへい)されることに…。救出後も、官兵衛は秀吉と共に各地で戦に奮闘したため、国府山城で過ごした時間は短かったのかもしれません。

国府山城址

料金(入場料)
なし
アクセス
妻鹿駅」北東 徒歩約10分(国府山山頂までは徒歩20分)
近隣のゆかりのスポット

黒田職隆廟所 官兵衛の父・職隆が眠る場所。職隆は、温厚で聡明な人物で知られ、今でも地域の人々はこの場所を「筑前さん」の愛称で呼ぶほど。


黒田職隆廟所

母里太兵衛生誕之地 大杯の酒を飲み干し、福島正則から名槍・日本号を賜った、民謡「黒田節」で有名な母里太兵衛。「黒田八虎(くろだはっこ)」の一人で、常に先陣を切った槍の名手。


母里太兵衛生誕之地