1580年、豊臣秀吉から揖東郡(いとうぐん)(現:姫路市網干区)一万石を賜(たまわ)った官兵衛は、揖保川河口・沖之浜洲(おきのはます)の陣屋に秀吉を招待し茶会を催しました。茶会の当日、秀吉の近くの席の大松には一羽の鶴が見事な巣をかけており、その優美な光景を大いに喜んだ秀吉は、以降陣屋の名を「鶴松亭(かくしょうてい)」と呼ぶように命じたそうです。
その後揖東郡は、姫路藩領・天領(てんりょう)・龍野藩領・幕府領・丸亀藩領と、藩が交代。様々な歴史が相まって、興浜だけは丸亀藩の陣屋が残ることになりました。その陣屋が置かれていた場所が、今に残る「丸亀藩陣屋跡(まるがめはんじんやあと)」となっています。