注目されることの少ない職隆ですが、君主・小寺政職(まさもと)が家臣の反発を抑え、「小寺」姓と「職」の一字を与えてまで一門に迎えたほど、優秀な人物でした。
当主時代には「長屋を建て身分に関わらずに住まわせ、情報・配下を収集した」。官兵衛幽閉時には「職隆の命に従うことを誓った書状を家臣から送られ当主を務めた」。「織田信長に反逆した政職の息子を密かに引き取り養育した」など、官兵衛同様、知略・人望・忠義に関する逸話が残っています。なによりも人格者で知られる職隆。彼が眠るこの場所は、
時代を超え今も地元の人から「筑前さん」と呼ばれ親しまれています。