戦国時代、寺社が兵を持っていることは珍しくありませんでした。「灘のけんか祭り」で知られる「松原八幡神社」も寺社勢力を持っていた神社のひとつ。
豊臣秀吉と毛利軍・別所長治(べっしょながはる)の戦の際、松原八幡神社は双方から援軍を依頼されましたが、選択できませんでした。勝利した秀吉は加勢をしなかったことを怒り、神社を芝原(現:姫路市豊沢)に移すよう命じましたが、松原八幡神社を敬う官兵衛は存続を嘆願し、存続を許されました。(千石あった寺領は六十石に減らされました) 官兵衛は、神社復興の際に拝殿を寄進したほど、松原八幡神社への敬神が厚かったと伝えられています。