黒田官兵衛と播磨

播磨から観る黒田官兵衛とは
第3回 英賀合戦
3_英賀城跡

英賀城跡公園

英賀(あが)合戦は、小寺政職(まさもと)が織田信長に味方したことが毛利輝元の知るところとなって始まります。天正4(1576)年、毛利軍は浦宗勝を総大将に5000の軍勢でやってきます。上陸したのは英賀。迎え撃つのは官兵衛率いる500の軍勢です。多勢に無勢の状況の中、官兵衛がとった策は近くの山に農民を潜ませ大量の軍旗を持たせるというもの。さらに、500の兵で奇襲を仕掛けたのだから、毛利軍はパニック状態に陥り敗走、退却させることに成功しました。信長は大いに喜び、荒木村重を通じて感状を与えたと伝えられています。しかし、信長についてはみたものの、小寺家をはじめ播磨勢は毛利氏に心が残ります。官兵衛は、信長従属の有利を説き続け、自らは嫡男・松寿丸(のちの黒田長政)を人質として信長の下に差しだし忠誠を誓うのです。