2024年 NHK大河ドラマ『光る君へ』の
主人公・紫式部が執筆した
全54帖からなる
日本最古の長編小説「源氏物語」。
主人公・光源氏を通して、平安時代の
貴族の暮らしや
宮中の様子などが
つぶさに描かれています。
物語の12帖は、光源氏の転機となる
「須磨」が舞台。
「光源氏」ゆかりの地・須磨を
ぐるりと散策してみませんか。
源⽒物語
「須磨」の巻 あらすじ
禁断の恋に落ちた光源⽒。都からの追放を予知し、妻を残して須磨で仮住まいすることに。翌年、若⽊の桜が咲くのを⾒て都の桜や⼈々に思いを馳せ、3⽉(旧暦)には⽔辺でお祓いをし、過去や将来を思い浮かべる。
山陽須磨駅
関守稲荷神社
かつてこの辺りにあったといわれる須磨の関の守護神・稲倉魂神(うかのみたまのみこと)を祀る神社。境内には、百人一首に収められた源 兼昌の有名な和歌「淡路島 かよう千鳥の 鳴く声に 幾夜ねさめぬ 須磨の関守【百人一首78番 源兼昌の歌】」の歌碑があり、名前の由来になったと伝えられます。
源氏物語ポイント
光源氏が須磨で隠遁生活を送っていたとき、巳の日に水辺で穢れを祓う行事「巳の日の祓」をしたことから、巳の日祓稲荷(みのひのばらいいなり)とも呼ばれています。
藩架山 現光寺
正式名は藩架山(ませがきざん)現光寺。浄土真宗本願寺派の寺院で、1514年(永正11年)、浄教上人の開基といわれ、ご本尊は阿弥陀如来です。境内には江戸時代の俳人・松尾芭蕉の名句「見渡せば 眺むれば見れば 須磨の秋」の歌碑や正岡子規の句碑もあります。阪神・淡路大震災によって本堂が倒壊されましたが2002年に再建されました。
源氏物語ポイント
光源氏が従者数人とのわび住まいをしていたところと伝えられており、以前は「源氏寺」「源光寺」とも呼ばれていました。また、本堂では国宝「源氏物語絵巻」を写した襖絵や、現光寺オリジナルの須磨の巻の襖絵があります。
須磨寺(福祥寺)
正式名は上野山福祥寺(じょうやさんふくしょうじ)、古くから「須磨寺」の名前で親しまれています。真言宗須磨寺派の大本山で、平安時代の始め頃、和田沖で引き揚げられた聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)像を光孝天皇の勅命により聞鏡上人が奉祀して創建されたといわれます。平敦盛愛用の「青葉の笛」や弁慶の鐘など源平ゆかりの古刹としても知られます。
源氏物語ポイント
最愛の妻を都に残し、自ら須磨へ退去した光源氏。境内の源平の庭には、光源氏が都に残してきた紫の上を想って、自ら植えたといわれる「若木の桜」跡があります。
平安時代前期の公卿
在原行平ゆかりの地も
訪ねよう
平安の貴族であり歌人の
在原行平(ありわらのゆきひら)が
須磨に隠退した事実に着想を得て、
「須磨」の巻は源氏物語の最初に
書きはじめられたとの説もある。
弟の在原業平(ありわらのなりひら)とともに、
光源氏のモデルの一人とされる行平の足跡を
辿ってみませんか。
須磨離宮公園
皇室の別荘「武庫離宮」の跡地に整備され、本格的西洋式庭園を備えた公園で、春と秋には「王侯貴族のバラ園」をはじめ約300種・4000株のバラが咲き誇ります。園内には在原行平が月を愛でたとされる「在原行平の松跡」があり、毎年秋には『離宮月見の宴』も行われています。
ポイント
「在原行平月見の松跡」付近では、平安時代、在原行平がここから名月を愛で、京を想い心を癒したといわれています。
松風村雨堂
宮廷歌人であった在原行平が須磨に流された際、多井畑(たいのはた)の村長の娘「もしほ」と「こふじ」に出逢い、それぞれ「松風」「村雨」と名づけて愛したといいます。帰京の際、行平は烏帽子と狩衣を松に掛けて片身として旅立ちます。二人は行平を慕い続け、行平の住居の傍らに庵を結び、行平の幸福を祈ったといわれています。
ポイント
お堂の入口には万葉集に収められている在原行平の「立ちわかれ いなばの山の 峯におふる まつとし聞かば 今かへりこむ」の歌碑があり、二人へ贈った歌とも伝えられます。