黒田官兵衛と播磨

播磨から観る黒田官兵衛とは
第6回 三木の干殺し
三木合戦図

三木合戦図

別所長治公辞世の碑_三木城の天守台跡

別所長治公辞世の碑_三木城の天守台跡

天正6(1578)年、三木城主・別所長治が反旗を翻す事件が起こる。三木の「干殺し」として名高い三木合戦だ。播磨の諸城主がこの反旗に同調し、危機に陥った秀吉は官兵衛の進言により、書写山に本営を移したという。この戦いは実質的には兵糧攻めで、餓死するものが続出。天正8(1580)年1月、別所長治が自刃して開城した。この三木合戦において前哨戦以後、黒田官兵衛の活躍はない。別所氏に同調した有岡城主・荒木村重を説得しようとした官兵衛は伊丹・有岡城で幽閉されていたのである。