黒田官兵衛と播磨

播磨から観る黒田官兵衛とは
第1回 播磨にやってきた黒田氏

黒田氏はそのルーツを近江に持つと言われ、備前福岡(現・岡山県瀬戸内市)を経て黒田官兵衛の祖父黒田重隆の代に播磨にやってきました。当時の播磨は守護職である赤松氏が衰退し、その支族や旧臣である浦上氏、小寺氏、別所氏などが割拠し、近隣武将同士での戦いが展開されていました。 重隆は龍野の赤松政秀に仕えた後、御着を拠点とする小寺氏に身を寄せます。商才もあり軍事の才能もあった重隆と息子の職隆(もとたか)は、たちまち認められて姫路の出城を任されるようになりました。 そこで生まれたのが官兵衛です。天文15(1546)年。幼名は万吉。姫路城で生まれた唯一の姫路城主と言われています。このとき織田信長は12歳。官兵衛と信長が出会うのは天正3(1575)年のことになります。