黒田官兵衛と播磨

播磨から観る黒田官兵衛とは
第7回 幽閉
有岡城

有岡城跡

天正6(1578)年10月、有岡城主・荒木村重と小寺政職が信長に背いたという知らせが入った。官兵衛はただちに政職のもとへ出向き、説得を試みる。政職は村重が信長方につくなら自分もそうしよう、と言って村重のもとへ官兵衛を送り出す。
しかし政職はすでに官兵衛の処分を頼む密書を村重に出しており、官兵衛は捕えられ地下にある土牢に幽閉された。有岡城は総攻撃を受けて翌年10月落城。救出された官兵衛は1年という牢暮らしで半死半生のありさまだったという。
この際、官兵衛が有馬温泉で湯治をして弱った体を癒やしたと伝えられている。