黒田官兵衛と播磨

播磨から観る黒田官兵衛とは
第11回 秀吉の天下統一
山崎の戦いの後、羽柴秀吉はその後も柴田勝家との戦いに勝ち、天下統一の道へと突き進む。官兵衛は四国攻め、九州攻めと活躍。天正13(1585)年、秀吉は関白となり、この年、姫路を守っていた父・職隆が国府山城で死去。天正15(1587)年、官兵衛は豊前国12万石を賜り、九州入りをする。功績の割に恩賞が少なかったのは、秀吉が「次の天下人」になることを恐れたからだと伝えられている。官兵衛は秀吉に警戒されていることを知ると、出世欲がないことを示すために出家・隠居したという。