ゆかりの沿線スポット

姫路城

スポット一覧
姫路城
その日、姫路城は銀世界につつまれていました

姫路を象徴する「姫路城」。その城内で官兵衛は誕生しました。戦を嫌った官兵衛同様、姫路城では一度も戦がおこなわれることがなく「不敗の城」とも呼ばれています。また、官兵衛も戦では「不敗」を誇りました。

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ひめじの黒田官兵衛 大河ドラマ館

黒田官兵衛の大河ドラマ化を記念して、期間限定でオープンするこの大河ドラマ館では、官兵衛の世界を体感できる展示をはじめ、郷土の歴史や文化も学べます。また、ドラマ出演者の衣装や小道具などの展示がおこなわれるほか、様々なイベントも開催されます。

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好古園

世界文化遺産・姫路城を借景としている庭園「好古園」。約1万坪の広大な敷地には9つの庭があり、それぞれ異なる風情を感じさせます。その美しい景観から時代劇や大河ドラマのロケ地としても知られる絶景スポットです。

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姫路文学館

播磨ゆかりの文人たちを紹介・研究する施設、姫路文学館。多彩な情報を発信しており、姫路に来た際にはぜひ足を延ばしてほしい観光スポットのひとつです。建築家・安藤忠雄氏により設計された建物としても知られています。

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兵庫県立歴史博物館

兵庫歴史博物館は、小さな子どもから高齢者まで楽しめる空間。兵庫県の歴史に関心を持つ方はもちろん、ファミリーでのレジャーや、のんびりとした時間を過ごしたい方まで、幅広く利用できるスポットとして人気です。

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播磨国総社
官兵衛のみならず代々姫路城主が尊崇した神社

赤松氏や歴代の姫路城主に崇(あが)められた「播磨国総社」。官兵衛、父・職隆(もとたか)も崇め敬った黒田家との縁も深い神社です。播磨国内の神々が合わせ祀られており、地元では「総社さん」「総社の神様」と呼ばれ親しまれています。

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書写山圓教寺
官兵衛の進言が、秀吉を窮地から救いました

千余年の歴史を持ち、「西の比叡山」とも称される「書写山圓教寺」。三木城の別所長治が反旗を翻し、苦境に陥った秀吉に官兵衛が姫路城から書写山に本陣を移すことを進言。秀吉はこの勧めを受け危機を回避できました。

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広峯神社・御師屋敷
姫路の黒田。歴史はここから始まりました

黒田家の原点ともいえる広峯(ひろみね)神社・御師屋敷。官兵衛の祖父・重隆(しげたか)が辿り着いた地で、姫路の黒田の歴史はここから始まります。重隆の才覚は、息子・職隆(もとたか)に受け継がれ、孫・官兵衛という稀代(きだい)な軍師を世に送りだしました。

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亀山御坊本徳寺

亀山御坊本徳寺は、浄土真宗本願寺派の寺。兵庫県指定重要文化財を受けている建築物があり、新撰組ゆかりの地として、また有名なドラマのロケ地としても知られています。地元の特産品や骨董品が並ぶ市「亀山御坊楽市楽座」も盛況。

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国府山城址
姫路を一望しながら何を想う

官兵衛と父・職隆(もとたか)が姫路城を秀吉に明け渡した後、居城したのが姫路市の海岸部に位置する「国府山城」。秀吉に添い各地を転戦していた官兵衛に代わり、職隆が留守を預かっていたのではないかといわれています。

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黒田職隆廟所
彼もまた、知略に長け忠義に生きた男でした

官兵衛の父・職隆が眠る場所。職隆は、温厚で聡明な人物で知られ、今でも地域の人々は親しみを込めてこの場所を「筑前さん」の愛称で呼ぶほど。その由来は「黒田家が筑前福岡藩主であったことから」といわれています。

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母里太兵衛生誕之地
今もなお、唄い継がれる黒田の武士

大杯の酒を飲み干し、福島正則から名槍・日本号を賜った、民謡「黒田節」で有名な母里太兵衛。「黒田八虎(くろだはっこ)」の一人、そして戦では常に先陣を切った槍の名手。そん勇猛果敢(ゆうもうかかん)な男が生まれたといわれる場所です。

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松原八幡神社
官兵衛の厚い敬神に救われた神社

秀吉から移転を命じられた「松原八幡神社」。その話を聞いた官兵衛は秀吉に懇願。想いが通じ、この地での存続が許されました。播磨を代表する祭り「灘のけんか祭り」が、現存しているのは官兵衛のおかげかもしれません。

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英賀神社・英賀城本丸跡
一夜にして焼失した「播磨最大の都市」

官兵衛の時代、英賀は播磨最大の都市でした。ここにそびえる「英賀城」は、播磨三大城に数えられるほどの城でしたが『英賀攻め』により一夜で消失。現在は、英賀神社に残る土塁(どるい)によりその面影を見ることができます。

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鶴松亭跡・興浜丸亀藩陣屋跡
その美しさに秀吉も感嘆の声をあげました

官兵衛が秀吉を網干に招待し催した茶会。秀吉の席の近くの大松に、鶴がとても見事な巣をかけていました。あまりにも美しいその姿に秀吉は陣屋の名を「鶴松亭」と名付けました。

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